2017年6月3日土曜日

意識高い系という言葉にたいして思うこと

こんにちは、藤田です(^^)


ご縁・応援・貢献をテーマに語り手にファンを増やし、聴き手の心の温度を上げるゆめのたね放送局“ターニングポイント”は中四国チャンネルより日曜夕方5時放送中です。
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他人に誤解されても気にしなければいいだけの話なのかもしれないけれども、ゆめのたねトークライブやゆめのたね放送局の番組に登場してくる人たちは俗に言う“意識高い系”とは全然違うと思ったので書いてみます。

私は以前は全ての方とうまくやろうと思って、カメレオンのような対応をしていました。ストレスはかかりますがどこにいっても衝突がなく、環境的には過ごしやすいと感じてました。それがコミュニケーション能力だと思ってました。でも、だんだん疲れてきました(笑)だから、今はちょっと力を抜いて、合わない人とうまくやるというのは必要最小限にしてます。とくに自分の生活で問題になることもありませんでした。


気が合わない人にどういわれても・・・という話ではありますが、自分のことではなく大切な他人のことも誤解されているのはどうかと思ったのが、“意識高い系”という概念。
“意識高い系”はもともとネットスラングで、セルフブランディングや人脈作り、ソー活、自分磨きに余念がない割には中身が伴っていない人(イメージの割にギャップが激しい人)のことのようです。


ゆめのたね関係で知り合う人たちは、この“意識高い系”とは違うなと思います。自分の人生を悔いなく生きるために、本気で向き合っています。もちろん、常にキラッキラしているわけでもなく、きっちり悩んで、人よりたくさん失敗して、それでもそれぞれの目的があって、いろんなチャレンジをされています。飾らないし、弱い部分も見せるし、でも笑顔を絶やさないよう努力して、共感しあえる人とどんどん繋がっていく。
彼らは俗に言う“意識高い系”ではなく、本当に意識が高く目的のために行動をしてる人たちです。目覚しい成果を上げている人もいれば、道に迷いながらも他人を妬んだり僻んだりせず素直に努力している人もいます。みんなお互いを尊敬しています。


発言と中身が伴っていないのは“意識高い系”という言葉を使って人を見下している人たちの方ですよね。行動する勇気がないだけなのに、言い訳ばかりで工夫をしてないだけなのに、妬んで、僻んで、言い訳して、愚痴って、プラスになることなんて何もないのにね。
しかしながら世の中の実際としては、残念ながらこの手の人たちの方が多いと思ってます。そうでなかったら“ゆめのたね放送局”なんて存在してなくても毎日いいニュースで溢れる世の中になっているはずですから。



本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

とげとげしいブログになっちゃいました、“意識高い系”と誤解されてカチンときている程度の器の小さい私ですが(笑)“福業”パーソナリティとしてネット民の“ターニングポイント”にもなれたらなーと思って張り切ってラジオ放送します(^^)
ではでは♬

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